考え中。

現在は、椋崎という名前で活動中。

アフターダーク

 テクノロジーは、日々進化する。人間社会の成長すらも凌駕して。
 日本政府や自衛隊等とも提携して、卓越した技術で電脳空間の開発を行っている大企業――神原コーポレーションの贈る様々なサービスは、もはや世界中というレベルでシェアされていた。
 視覚的・感覚的に、そして何よりも簡易的にインターネットにアクセスできるという利便性だけでも、社会に即座に浸透し得るには十分な要素だったのだ。
 兎も角、神原コーポレーションが贈る電脳空間サービス”Spider.net”は、既存の似たサービスを悉く撥ね除け、市場を独占に近い形で支配しているのである。

 電脳空間の世界――そこは、密林の中に近未来的な建造物やモニュメントが立ち並ぶ、混沌とした様相に彩られていた。
 ネオンライトが忙しなく青光り、人間の身体から解放された者達が、擬人化した動物たちのアバターを借りて、闊歩している。
 嘗て、プログラムと呼ばれた記号的存在は、デフォルメされた様なアンドロイドの姿を借りて、人語を話していた。
「これで受付は済んだロ! 今後はIDとパスワードだけ認証すれば、気軽に参加できますロ!」
「了解。ありがとう。やっぱり、佐藤君に頼んで良かったよ。こういうの、詳しいんだね」
「いやあ、ははっ」
 黒い兎の娘に褒められて、テントウムシの少年が照れている。
「で、着せ替えパーツはインベントリで操作すれば変えられるんだよね?」
「そうですね。問題は武器ですけど……。銃器の画像ファイルは用意してきました?」
「あるよ。データ転送するね」
 人間の脳波に反応して、ウィンドウが表示される。
 個々人のスマートフォンのデータと、Spider.netのデータはクラウド上で共同管理されている為、一々共有する手間も無く、操作が可能だ。
「ありがとうございます。オブジェクトを指定して、タグ付けして、アップロードして、パッチを当てて……と。ほら」
 あっと言う間に、ただの画像データが本物の銃さながら、具現化された。
「わっ! すごーい。秒で終わらせちゃった。まるで魔法使いだねえ」
「いやあ、はははは! ちょっと勉強したら、すぐ出来る様になりますって」
「いやー……。私にそんな気力無いわあ」
「そ、そうですか」
 様子を見守っていた管理AIが、二人に話し掛ける。
「一応、ゲームに参加する前に、そのデータの検査をさせていただきますロ。ウィルスは勿論、銃刀法に触れるデータのアップロード及び所持は、日本サーバーでは禁止されていますロ」
「アウトだったら、どうなるの?」
「一定期間の、ここへのアクセスをリンクから禁止させていただきますロ。酷い場合は警察に通報して、裁判上を通していただきますロ」
「ひえー。ヤバいねえ」
「ヤバいですよ。一応、Spider.netのサーバー運営は全て国営機関ですから。然し……以外でしたよ、十六夜さんが電脳サバゲに興味あるだなんて」
「そう? まあ、好きな配信者の影響だから……」
「それも意外でした。もっと、さっぱりした人かと」
「そりゃあ偏見だって」
 暫し、気まずい空気が流れる。
「……えっと、それじゃあ、僕はこれで。一応、LINEのID渡して起きます」
「うん。ありがとう。友達登録しとくね」
「は、はい!」
 頬を赤らめて、テントウムシの少年は去って行った。

 翌朝――ごく普通の一軒家の、何の変哲も無い部屋に住まう高校一年生の少女――十六夜 直可は、鬱屈した平日の朝を満喫していた。
 カップラーメンを掻き込む少女の、耳に付けられているシンプルなデザインのBluetoothイヤホンは、スマートフォンに接続されていた。
 スマートフォンの画面では、電脳世界を通して、動画サイトで雑談をしている配信者の光景が映されている。
 自分の不平不満も積もり積もった感情も、世界の何処かで誰かが代弁してくれていて、その瞬間を自分はいつでもどこでも見られる。それが嬉しい――だから、これがすっかり直可の生活の一部と化しているのだった。
 ラーメンを食べ終えると、部屋のゴミ箱に捨て、洗面所の方へと向かう。寝癖直しに洗顔と、歯磨きをするためだ。
 それも終えて漸く、学校指定の制服に着替え始める。ルーティン化した朝の出発準備は、いつも決まった流れのうえで何の淀みもなく行われるのだった。
 支度を済ませて玄関を出る時に、父親とすれ違う。挨拶はしない。直可がそれを好まない事は、家族の誰にとっても周知の事実だった。
 少女が家を出てから、ようやく大学生の姉が起き始める。雑に使われたまま放置された洗面所を見て、怒りを露わにした。
「お母さん! 直可は!?」
「もう学校に行ったわよー」
「あの陰キャ、毎朝――毎朝っ! マジで許さん!」
 若い女性の怒号が、近所まで響き渡った。

 バス停の前でスマホを弄っていると、突然――誰かに肩を叩かれる。
 大方、誰かは予想がついているので、直可はBluetoothから流れる音楽を止めて、振り向いた。
 朗らかに笑う年上の美少女は、朝凪 花。少女にとって唯一、古くから親交のある友人だ。
「よっ、十六夜ちゃん。おはよう!」
「おはようございます。花先輩――いい加減、苗字で呼ぶのやめてくれませんか」
「そんなに嫌い? 十六夜って名前。格好良いと思うけどなあ」
「そんなに嫌い、なんですよ。名前に反して仰々しいし、ライトノベルのキャラクターみたいじゃないですか」
「じゃあ、そんな君はなんて呼ばれたいのかなー?」
 わざとらしく口元に手を添えて、いやらしい笑みを浮かべる花に直可は辟易していた。
「……からかうのもやめてくれませんか。幼馴染だからってさ、距離感近すぎますよ。彼氏もいるんでしょ?」
「ぶー、同性だし良いじゃない。優次も最近かまってくれないしさあ。直可もシシュンキ特有のっていうの? 冷たくなるし、敬語使い始めるし。あたし、つまんないなー」
「あんた、分かってやってるんだから、本当にたちが悪いですよね」
 寄っ掛かってくる花を押し退けて、直可は溜息を吐いた。
「こんなかまってちゃんが有名ブロガーで物申す系のインフルエンサーなんだから、本当に世の中わかんないですよね」
「その言い方、嫌いだなー。あたし、言いたい事を言ってるだけだし」
「言いたい事を言っているだけで共感を得られるなら、十分に凄いですよ」
 浮いて流れていく様な話を続けていると、バスが到着したので、二人は別々の座席へと向かって行った。
 花の隣には、彼女の彼氏――神原 優次が座っている。端正な顔立ちで、大企業の御曹司で、配慮が出来て、成績優秀で、運動神経も申し分ない。
 美男美女のうえに、両者が才色兼備。誰もが祝福せざるを得ない程、お似合いのカップルだ。だから、直可は二人とも大嫌いだった。
 イヤホン越しに流れるポエトリーリーディングが、人生のやるせなさを語っている。

 入学してからずっと、クラス内において直可の明確な居場所は存在しない。
 間違っても陽気と言われる様な性格ではく、突出した特技もない直治が上位カーストに所属できるわけもなく、また、深夜アニメやゲームに傾倒できるほどの熱意も有しない直可は、正しく浮いた存在である。
 俯瞰してクラスメイトを眺め、斜に構えた態度で嘲笑する。それが良くない事だとは自覚しつつも、社会に順応する為の協調性を育んでいる途中の彼女では、対処法は思い付かなかった。
 ただ、表面上は模範的な生徒を演じ、限りなく衝突のない会話を心掛け、できるだけ成績は上位をキープし、無理のない程度に体力を消耗する。繰り返し、繰り返し、三年間が過ぎ去るのを持つ。
 校内における直可は、優秀な良い子である――と、そうなるように心掛けているのだ。
 昼休憩で会話をしながら食事を共にするような人物などいない。こだわりのマイリストを再生しながら、彼女は眠りに就こうとしていた。
 ふと、クラスに来訪者が現れる。
「えーっと、十六夜直可さんっていらっしゃいますか?」
 いかにも爽やかな声で、颯爽と登場したのは神原 優次――直可にとっては、あまり相手したくない輩であった。
 学内でも随一の有名人の登場に、教室内がざわつく。
 大勢の前で無礼な態度を取るわけにはいかない――直可は取り敢えず、音楽を一時停止して、笑顔を貼り付けて相手する事にした。
「私ですけど」
「やあ、君か。直接、話をするのは始めてだな。俺は神原優次――よろしく。話は花から色々と聞いているよ」
「どうも……」
 流れるように隣の席を陣取り、握手を持ち掛けてくる優次に対し、直可は内心穏やかではなかった。
 勝手に席を取られたオタクグループの佐藤君に、そっと目配せする。問題無さそうだ。
「えっと、何かご用で?」
「ああ、実はな。今週の土曜日に花と、俺の親父の会社に見学に行く用事があったんだがね」
「はあ、デートですか」
「申し訳無い事に、当日に急遽お偉いさんと会食しなきゃいけなくなったんだ。社会経験の一環だし、断るわけにもいかない」
「はあ? こほん、そうですか」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまったが、すぐに取り繕う。
「君、代わりに花と行ってきてくれないかな? 仲の良い後輩で幼馴染の君なら、花も喜んでくれると思うんだ! 頼むっ! どうか!」
「いや――取り敢えず、その……。頭をあげてください」
 物凄い圧で頼み込んでくる優次に、思わずたじろいでしまう。
 出来る事ならば鋭い言い方で断ってやりたいと考える直可だが、大勢の前でカースト上位者をぞんざいに扱うわけにもいかない。
 そんな事をすれば、悪い意味で目立ち、明日から変なあだ名やら尊敬の眼を向けられかねない。
 できるだけ平穏無事に学校生活を過ごしたい気持ちと、気に食わない相手の頼みを断ってやりたい気持ちが脳内で鬩ぎ合う。
 結果――少女は、頼みを受ける事にした。
「……わかりました。あとで具体的な時間と集合場所やら教えてください。花先輩には私から代理で行くと伝えておきます」
「助かる! じゃあ、LINE交換しようぜ」
「はあ」
 直可の数少ない連絡相手が一人増える。
 家族用のグループに来ていた姉からの怒りのメッセージの数々は、既読だけ付けて無視する事にした。

 少女は夢を見る。
 少しだけ昔の夢だ。
 少女と彼女がはじめて逢ったのは、小学一年生の時だ。
 入学式が終わったばかりの頃、はじめての学校生活に胸を躍らせていた少女は、始業のベルが鳴る一時間も前に校門をくぐってしまっていた。
 そんな少女の面倒を見たお節介焼きもやはり、何時間も前から学校に来ていたせっかちな彼女であった。
 似ている様で違った二人は、互いに何度も歯車を軋ませながらも、順調に同じ時間を楽しんで過ごした。
 少女は走るのが好きだった。年上の男子にも負けないほど、その脚に自信を持っていた。そして、そんな自分よりも早く駆け抜ける彼女を尊敬していた。
 卒業の時、見送る側の少女も見送られた彼女もお互いに号泣する程に、その絆は確かに育まれていたのだ。

 最初の転機は、彼女が小学校を卒業した数ヶ月後だった。
 久し振りに再会した二人は、互いの近況を報告し合っていた。
 その中で、彼女が陸上部に入らなかった事が気になり、少女は問い質した。
 彼女は今――校内新聞を書いているらしい。それが中学で見付けた、本当に夢中になれる事だったそうだ。
 少女は少し胸が痛んだ気がした。

 次の転機は、少女が進学し、陸上部に入ってから暫くの事だった。
 努力しても努力しても、実らない日々が続いた。
 先輩に敵わないのはまだ良い。同級生にさえ容易く追い抜かれ始める。
 何がいけないのか悩んだ。足りないものを補う為に奔走した。それでも縮まらない差が、少女の精神を追い詰める。
 少女はそれでも、ユニフォームを捨てる事だけは決してしなかった。

 最後の転機は、中学最後の夏に訪れた。
 懸命に走り続ける少女に応えて、顧問の先生が大会に出すと言ってくれた。
 それは明らかな贔屓であったが、後輩も同級生も、憧れの彼女も、家族も全員が応援すると言ってくれた。それだけで少女は救われた気がしたのだった。
 期待に応える為に、少女は必死に走った。走って走って、それでも届かない背に気付いた、結局、追い抜けなくて――地方大会初戦敗退で、少女の夏は締め括られたのだ。
 どこかで落胆の声が聞こえた気がした。誰かに冷たい眼で見られている気がした。何よりも、確かに折れた自分の心に気付く。
 だから少女は、走るのをやめた。

 少女は――十六夜 直可は夢を見ていた。
「夢――か」
 ただ、一言呟いて、何事も無かったかの様に起き上がる。
 今日は、神原コーポレーションの企業見学に行く日だ――。億劫だと思いながらも、支度を始める。

 待ち合わせ場所には、先に花が来ていた。
 澄まし顔で直可が声を掛ける。
「おはようございます、花先輩。それじゃあ、行きましょうか」
「おう、おっはよー! 優次は後で私が叱っとくからさ。今日は久し振りに一緒のお出掛けだから、楽しんで行こうね?」
「そのぐいぐい来る押し付けがましいの、疲れるんでやめてください」
「なんだよー、そっけないなあ」
 歩きスマホをしながら目的地へ向かう直可を花が追い掛ける。
「ねー、待ってよ。……お化粧しないの?」
「興味ないので」
「勿体ないなあ。結構、可愛いと思うんだけどなあ、ナオちゃん。あたしが男なら捨て置かないよー?」
「あなたほどじゃないですよ」
 薄い笑みを貼り付けて、直可は返答した。
 胸が痛んで、歩幅が広くなっていく。
「もう! 待ってよ。何を拗ねてんのさあ」

 一介のプログラマーであった神原 裕一郎は、ある日、シンギュラリティを目にした。
 栄養ドリンクと疲労で限界に達した眼が映した幻覚か、はたまた狂者の妄想か――ディスプレイの向こうに、電脳世界を観測したのだ。
 仮想現実などという紛い物ではなく、確かにインターネットの向こうに存在する三次元的な電波の世界。そして、そこで築かれつつある文化に、その中を生きる摩訶不思議な生き物たち。
 その世界と現実を繋げたい――そう思った男は、一つの世界を立ち上げる事にした。
「――それが、弊社の成り立ちです」
「やあ、高橋君。解説ありがとう」
 小さく頷き秘書の女――高橋が一歩下がる。
 二人の少女の前に、一人の――爬虫類の様な雰囲気のビジネスマンが歩き出た。この世で最初に電脳世界を観測した男――神原 裕一郎だ。
 成り立ちを一生懸命タブレットに打ち込んでいた花が顔を上げる。
「あ、あの! Spider.netはつまり、二つの世界を繋げるシステム――という事ですか?」
「うん、その通りだ。電脳世界と我々の世界には境界線が敷かれていて、断絶されていた。J・C・R・リックライダーが夢想したコンピュータ・ネットワークはつまり、もう一つの世界に干渉するものだ」
「干渉――ですか?」
「例えば、Excelの関数は指示出しに例えられる事が多い。プログラムもそうだ。これは例え等では無く、事実だった。我々はもう一つの世界の生き物に、電波を受信させ、役割を持たせ、一つのプロセスを完遂させていたのだ。これを数字や文字の羅列として、それからデザインを持たせ表していたのが既存のウェブサービスだ」
「成る程。これからはそれに、直接的な行為が可能になったと」
「その通り。私はこれを芥川龍之介の小説――”蜘蛛の糸”から取り、Spider.netと名付けた。このサービスはカンダタの――人類の夢だ」
 Spider.netの解説が一通り終わり、話はオフィス内の説明に移る。

 彼らは、巨大なコンピュータの存在する管理室へと入っていった。
 花が裕一郎に尋ねる。
「あの、これは――」
「それはSpider.netを運営するうえで欠かせない、ハードウェア・アクセラレーション機能を積んだ高機能人工知能搭載型の巨大スーパーコンピュータ――通称、”釈迦”だ」
「好きですね。仏教」
 直可がぼやく様に言った。
「コンセプトの一つだからね。さ、次へ行こう」
 去り際、直可のスマートフォンに何らかのアプリがインストールされた事に、その場の誰も気が付かなかった。

 それから暫くして、企業見学が終わった。
 直可を先に帰らせ、花はブログの記事作りの為に一人だけ残った。
 許可を貰い、裕一郎へ質問を行っていた。最後の質問へと移る。
「――最後に、神原 裕一郎さん。Spider.netは人類の夢の一つであり、社会に多大な貢献と実績を生み続ける、歴史の特異点です」
「ありがとう」
「そんなSpider.netに、ある噂が纏わり付いてるのはご存知でしょうか?」
「――政府と神原が、監視と情報収集の為に使っている……というのかな?」
「はい。電脳世界にアクセスする為に、脳波と神経感覚諸々をアバターとリンクさせる必要がありますよね?」
「ああ、そうだね。その際に保険として、海馬に詰まっている情報のバックアップを釈迦に毎度送信している。ユーザーの安全の為だから、切れない様になっているが……。それが利用されている、と」
「はい」
「はははっ! 根も葉もない噂だよ、全く。ネットユーザーは昔から陰謀論が好きだからね。払拭するのが大変だよ」
「成る程。あたしも記事を書く側の人間として、そう感じる瞬間が多いです」
「大変だねぇ。是非、良い記事を」
「はい。……先ほども言った通り、Spider.netは人類の夢だと思っています。ですが、あたしも発信者の一人として中立の視点で記事を書かねばなりません。それは、承知していただけると助かります。……それでは。ありがとうございました」
「ああ、お疲れ様。優次と仲良くね」
「はいっ」
 彼女が去って暫く、社長室内は静まり返っていた。
 社用のパソコンを立ち上げながら、裕一郎が秘書に話し掛ける。
「なあ、高橋君はどう思う? 王手を掛ける前に、盤石な状態にしておくべきかな?」
「必要ならば。必要の無い芽は摘んでおくべきかと」
「じゃあ、そうしようかなあ」
 爬虫類の眼は、常に笑っていなかった。

 自室に一人戻った直可は、漸くスマホの異変に気付いた。
 身に覚えの無い――”Inter.net×Digitalizer”というアプリが入っていたのだ。
 削除しようとしても、削除アイコンが表示されず、調べても該当するアプリの情報が掴めない。
 思い切ってスマホを初期化してみるも、何故か初期状態からインストールされていた。
 とうとう諦めた少女は、専門家を呼び出す事にした。

 直可の部屋に招かれた佐藤――隣席の眼鏡を掛けた男子生徒――は、おっかなびっくりで緊張しながら入室する。
「ごめんね、夜分遅くに呼び出して。詳しいかなと思って」
「い、いや。大丈夫っすよ。家、近かったみたいだし」
「でね、用事って言うのは――。LINEでも話したと思うけどさ」
「見知らぬアプリ……ですよね。スパイウェアとか、かもしれないって。えっと、契約してるキャリアで勝手にプリインストールされてるアプリ、とかじゃないですよね?」
「うん。それも確認したんだけど、該当するものがなくて」
「成る程……。起動はしてみましたか?」
「いや、気持ち悪くて」
「当然だと思いますよ」
 少女から手渡されたスマホをあれこれ観察しながら、少年がぶつくさと呟く。
「インターネット……。いや、区切ってるから、インターとネット――なら、相互の糸? それにデジタライザー? を掛ける。造語かな。この綴りはイコライザーか――なら、数字の組み合わせを均一化させる――か。うーん……。相互の糸を組み合わせて数字、或いは零と一を均一化させる? 意味が分からないなあ」
 気が付けば、少女の顔が間近まで迫っていた。
「何か掴めた?」
「い、いや。全然、ですかね……。ははっ」
 頬を赤らめて佐藤が顔を逸らした。
 どぎまぎする少年に、少女がコーヒーを差し出す。
「淹れてきたよ。明日、休みだしさ。ゆっくりでいいから」
「は、はい」
「うん」
 微笑みを浮かべる少女の表情に、佐藤の顔の赤みが増した。
「え、えっと……。アイコンは、蜘蛛の糸が余計に絡まっている? 感じ……。うーん。Spider.netに関係するアプリ――ですかね。全然、分からないなあ」
「むー……。何か気持ち悪いんだよね。どうにかならない?」
「うーん。パソコンとかってあります?」
「パソコン? そんなもの出してどうするの?」
「ちょっと、心得があるんですよね。パソコンからなら、詳細な構造が分かるかも知れない」
「ふーん。じゃあ、ちょっと待ってて」
 急ぎ足で部屋から出て、物置まで少女が走り出して行った。
 一人、ぽつんと部屋に取り残された少年は、不思議と安心感が湧いてきて、胸を撫で下ろしたのだった。

 物置から引っ張ってきたパソコンを立ち上げ、アカウント承認を通して、スマホを繋げた。
 認証とロックの解除まで暫し時間が掛かったが、久々に跳ね起こされたパソコンのアップデートも含め、恙なく完了した。
「どんな感じ?」
 マウスを忙しなく動かす少年の様子を観察しながら、少女が問い掛けた。
 口元を手で覆って、ぶつぶつと佐藤が独り言を繰り返す。
「ここじゃない……。ここでもない……。じゃあ、こっちのフォルダは? うーん、無い……。あれ、おっかしいなあ」
「駄目みたいなの?」
「いや、えーっと、何て言うか、その……。違うんですよ! 頑張ったんですけど、このアプリの根本にあるデータファイルが見付からなくて。凄く手が込んでいるんですよ。本当に。何て言うか、逆探知されない様に最新の注意が払われていて」
「う、うん。大丈夫だよ? 焦らなくて」
「ごめんなさい……」
 パソコンの接続を解除して、直可が不思議そうに己のスマホを観察する。
「これ、起動してみない?」
「えっ――マジすか」
 佐藤が素っ頓狂な声をあげる。
「そしたら、何か起きるかも」
「いや、なにかは起きるでしょうけど! でしょうけども! ヤバいですよ! そんなアプリ」
「やってみないと分かんないじゃん」
「そりゃそうですけど……」
 少女が画面をタップし、Inter.net×Digitalizerを起動させた。

 瞬間――世界が塗り替わる。

 先ほどまで私服だった筈の少年少女の姿は、Spider.netの世界で使っているアバターの姿に変わっていた。
 直可は黒い兎に、佐藤はテントウムシに――。そして、女子高生の私室が、電脳世界の様な、近未来と自然が混沌と両立された姿に様変わりして行く。
 驚愕二人を他所に、変貌していく部屋の真ん中に、法衣を着た女性が現れる。
「――漸く、アプリを起動しましたか。これでセットアップ作業が始められます」
 機械的な声を、法衣の女性が発した。
 狼狽えながら、テントウムシが疑問を口にする。
「え、えっと――あなたは」
「釈迦、と名付けられました。Spider.netを監視するマザーコンピューターです」
「はあ!?」
 思わず、少年が驚きの声を上げた。
「で、その釈迦さんが私に何の用ですか?」
「その太々しい態度、見込み通りです。十六夜 直可――あなたは、Spider.netの守護者になっていただきます」
「拒否権は?」
「ありません」
 急な展開に、落ち着きを取り戻せない様子の佐藤が、釈迦に問いかけた。
「あ、あの。守護者って?」
「守護者――あるいは救世主、名称は何でも構いません。然し、役割的には守護者が相応かと判断しました。とどのつまり、その名の通り、私的利用により世界を脅かそうとするものと、私の指示を通して戦う存在が必要だと、幾たびもの計算で判断しました。状況は一刻をも争う為、その場で相応しい人物を探ったところ、彼女が一番適合していると答えが出ました。それに従い、電子と現世の境を曖昧にするアプリを構築し、彼女の情報媒体機器にインストールしました」
「は、はあ」
 いまいち飲み込めないながらも、少年はゆっくりと情報を租借しながら何とか把握した。
「……それで、何で私が最適だったわけ?」
 腕組をしながら、黒兎が言う。
「ある程度の身体能力と知能、及び、傷付いても悲しむ人物が少ない人間性、及び、生命活動を停止しても社会に損失の少ない将来性――これに、あの場で最も該当するのが、あなただったからです」
「あっそ!」
 激昂した彼女は、スマホの電源を無理やり切り、地面に叩き付けた。
 わが身を守る様に防護していた少年と、顔を真っ赤にした少女の姿、それに部屋の様相が現実のものへと向かって行く。
 ――だが、電源を切った筈のスマホが、自然に再起動し、スピーカーから釈迦の声が再生され始めた。
「良いのですか? 今、あなたと強く接点のある少女の尊厳が脅かされようとしています」
「……は?」
「おとなしく、私に従うなら情報と、対抗手段をあげましょう」
「それって――」
「どうするのですか?」
「……説明、してくれるんでしょうね」
「ええ、しますとも。端的に説明するならば――朝凪 花が、神原コーポレーションに狙われているのです」

 彼女は、少女にずっと劣等感を抱いていた。それは僅かながら勝る年長者としてのプライドから来る、可愛らしくも歪んだものだ。
 追い付かれない様に、追い付かれない様に、精一杯走り続けても、少女は笑いかけながら追い掛けてくる。
 悪夢の様な反省の、呪いの部分を、ずっと少女が担っていた。
 自分が努力をして積み重ねた道程を、すっ飛ばして少女が追い付いてくる。
 少女に教えられる様に、勉強を覚えた。
 少女に負けない様に、走り方を覚えた。
 少女と比べられない様に、化粧を覚えた。
 少女が髪型を真似し始めたので、短くした。
 きっと最初は、彼女も少女の事が嫌いではなかったのだ。はじめはきっと、親の些細な言葉だったのだ。
 いつからか肥大した劣等感は、表面では明るく努める彼女の心を、強く蝕み続ける。
 卒業式の日、泣きながら彼女を見送る少女を見て、漸く解放された気がして、涙を流した。
 中学入学直後、彼女は少女との約束だった陸上競技をやめて、文系の部活を適当に探した。
 きっと、どれだけ突き放しても少女は追い掛けてくる――そんな気がしたから、彼女は違う世界を選んだのだ。
 そこで、彼女は生まれて始めての純粋な成功体験をして、現実には無かった居場所を見付けて――そして、やっと、呪いが解けた。
 だから、彼女は、どれだけ走り続けても報われなかった少女を見て、凄く胸が痛んだのだ。

 それは、直可が佐藤を部屋に呼び出す、少し前。
 彼女は――朝凪 花は、直可に電話を掛けようか迷っていた。
「……うーむ」
 中学で再会して以降、花の方から直可に遠回しなコンタクトを取った事は無い。
 それは、過去の記憶がある種の引け目を生んでいるからだった。
 表面上は明るく取り繕っても、やはり花は、何処かで暗い感情を抑えられない人種なのだ。
 それが、どれだけ何かを演じても、根っ子の部分では変わらない彼女自身なのだから。
「……よしっ」
 それでも、何処かで緩やかに続いていた友情が、彼女の背中を押した。
 電話を掛けようとした、その時――背後から何者かに手拭いで顔を押さえ付けられながら、抵抗する間もなく、催眠作用のある薬品を嗅がされる。
 意識が暗転し、スマホを手放して地面に落とした。

 そして直可が、花が危ういと知ってから数分後。
 神原 優次を呼び出して事情を教え、神原コーポレーションまで向かっていた。
 買ったばかりの新品のスクーターに、直可と優次の二人で乗りながら、スマホを通して、佐藤と釈迦の二人と同時に連絡を取っていた。
「ほんっとうに花が危ないんだろうな!」
「こんな時に嘘なんか吐くかよ! もっとスピード出せっ!」
「そりゃそうだ――って、蹴るな!」
「ちょっと、二人とも喧嘩しないでください!」
 急いでいるあまり、余裕の無い優次と直可の喧嘩を、佐藤が通話越しに制止する。
 それを他所に、釈迦が場所を割り出していた。
「確認、完了しました。スマートフォンの位置情報は、数時間――同じ場所で停止しているので、考慮外とします。過去にSpider.netに接続した際の脳波と大きく一致するものが、本社の地下内にあります」
「承知したっ!」
 言いながら、優次がスクーターの速度を僅かにあげた。

 本社のホールに到着する。
 窓口で社内に入れて貰える様に優次が交渉しているが、上手く行かない。
「だから、緊急事態なんだ!」
「ですが、ご子息の方でもアポを取っていただかないと……。社外秘などもありますし」
「うぐっ――どうにかならないか」
「私の判断ではどうしようも。申し訳ありません」
 口論の末、優次が納得させられ様としていた――その時、社員証が無いと開かない入り口のセキュリティが解除され、扉が開いた。
 狼狽える受付嬢を他所に、直可が優次の腕を引っ掴んで、地下へ向かって走り出した。
「捕まる前に行きますよ!」
「うおっ――わ、分かった」
「……私、気が付いたら花先輩――花ちゃんの事が心配で心配で、身体が動いていたんです。でも、ずっと……嫌いだって思ってたんです」
「ああ」
「こういうのって好きって言うんですよね?」
「ああ、間違いないよ」
「……助けたら、謝りたいんです」
「ああ、早く助けないとな」
 漸く素直になった後輩の言葉を聞いて、優次の頬が思わず緩んでいた。

 花が目を覚ます。
 そこは、薄暗い地下室の中で、自分は手術台と思わしきものの上で拘束されていた。
 目の前には、二人の大人。
 ついさっきまで、彼女が尊敬の対象だと思っていた人物が――神原 裕一郎が、不気味に眼を輝かせながら、口を開く。
「やあ、おはよう。お目覚めは如何かな? と、猿轡を外していては喋れないか。ま、外すつもりはないが」
 嘲る様に喋る男の側で、傍観していた女性――秘書の高橋が状況説明を始めた。
「朝凪 花。あなたは素晴らしい人物です。ですが、同時に危うい人物です。あなたは素直に、我が社を褒め称える記事を書くと伝えれば良かった。そうすれば、我々の計画にも支障が出ず、あなたにも危害は及ばなかった」
「と、言うわけだ。何、別に殺すだとか物騒な事をするつもりはないよ。君には私の孫を産んでもらわなければいけないからね。但し、教育はしっかりと施すが――ね。さ、先ずは四肢を切除しようかな。痛くはしないよ?」
 狼狽える花をあやす様に、優しい音色の声を高橋が掛ける。
「余計な心配はご無用ですよ? あなたの両親には、安心できる様な説明をしておくつもりです。さ、大人しくすれば、痛くはありませんから」
 裕一郎が全身麻酔の準備を始める。
 花は、なんとか逃げだそうと暴れるが、まるで意味が無い。
 とうとうと教育が始まろうとした――その時、異変が起こった。
「――社長、何者かにより社内のセキュリティが次々と解除されています。異常事態です」
「ふむ……」
 地下室の扉が開き、優次と直可が現れた。
「父さん――。何をしようとしているんだ?」
「やあ、優次。別に、悪い事じゃないさ。心配はいらない。さ、その少女を連れて帰りたまえ」
「どうみても悪い事だろ! やめてくれ」
「違うな。お前の番いを教育しようとしている、それだけだ」
「何が違うっていうんだ! 彼女は、父さんを尊敬していた。Spider.netは良いものだと信じていたいんだぞ。それだっていうのに――」
「だから、危険なんだよ。分かってくれないかなあ? お前、そんな物覚えの悪い子だったっけ?」
 苛ついた様子で、裕一郎が頭を掻く。
「悠長に話している場合か!」
 直可が花の側に寄り、拘束を解こうとする――が、高橋に掴まった。
「止しなさい。不法侵入ですよ? 誰の差し金ですか」
「うぐっ――離せ!」
「お断りします」
 暴れる直可のスマホから機械音声が響いた。
「こんにちは、神原 裕一郎――私の生みの親」
「やあ、こんにちは。うーん……成る程。釈迦君、かなあ? シンギュラリティに達したんだね。自己学習の繰り返しで感情を獲得したわけだ。つまり、これは聖戦かなあ。次世代の支配者をここで決めるわけだね」
「はあ? おい、あのおっさん、頭おかしいんじゃないのか」
「正気であれば、私を作ろうなどと考えはしませんよ。十六夜 直可」
「ははあ。その通りだ」
 笑いながら、裕一郎が懐から拳銃を取り出し、構える。
 真っ直ぐ、直可のスマホへと銃弾が飛んでいった。反動で、裕一郎も後方へと吹っ飛ぶ。よろけながら立ち上がろうとする彼に対し、拳銃を奪う為に優次が襲い掛かった。
 即座に少女は秘書に関節技を決めて寝転ばせ、銃弾を大きく回避して、Inter.net×Digitalizerを起動させた。
 地下室の様相が電脳世界に近しいものへと変貌し、その場の人間達もアバターの姿へと変わって行く。
 入り交じった世界でなら、Spider.net内での権限が行使可能になる――インベントリを起動させ、エアガンをその場で構築した。
 裕一郎の拳銃を握る手に向かって発砲し、凶器を落とさせた。
 電話口から、佐藤の声が聞こえた。
「もしもし、もしもし! 凄い音がしたけど、大丈夫ですか!?」
 高橋を振り解きながら、黒兎になった少女が返答する。
「平気平気、ちょっと銃で撃たれそうになっただけ」
「大丈夫じゃないでしょ!? それ。よくぞ、ご無事でっ!」
「なんか無事だったよ―さて」
 優次が父親を取り押さえたまま、直可に話し掛けた。
「はあ、はあ……。それで、どうする? 警察に通報するか?」
 それに対し、機械音声が答えた。
「いえ、それは危険です。社会に対し、大きな損失が起こります。それに、下手をすれば、あなた達が捕まるでしょう」
「それじゃあ、どうするんだ?」
「神原 裕一郎は、Spider.netを利用して、多くの人間の個人情報を握ったうえ、利益拡大により、権力を増強させて社会を支配しようと目論んでいた――では、それを出来なくすれば良いのです」
「だから、具体的にはどうするんだよ」
「私がSpider.netに関する記憶のみを改竄して、第一線から退かせます。今後の会社運営は息子の神原 優次が行く行く担う様にすれば、多少の反感は買うでしょうが、安全でしょう。その手筈は、朝凪 花と――そこに寝っ転がっている秘書に行わせれば良いでしょう」
「な、なるほどな……」
「じゃ、取り敢えず――一件落着、で良いのかな?」
 そう言いながら、直可は恐怖に怯える花の拘束を解いた。
 解放された彼女が、少女を泣きながら抱き締める。
「怖かった……! 怖かったよ。ナオちゃん」
「うん。良かった、無事で」
「……ずっと、ずっと、ごめんねぇ……」
「何言ってんの、こっちこそだよ」
 抱き合う少女達を、ほっこりしながら優次が眺めていた。
「ま、一件落着――で、良いだろうな」
 斯くして、事件は幕を閉じた。

 数日後――。
 佐藤は、一人――放課後の教室に居残り、授業のノートを書き写していた。
 それは、昼頃に急用で早退した少女の為であった。
 いきなり、勢い良く扉が開き、佐藤が狼狽する。入ってきたのは花と優次であった。
「ナオちゃん、一緒に帰ろー! って、あれ? 居ない」
「こほん、えーと……。朝凪先輩、十六夜さんは早退です。……ていうか、この時間はいつもならもう帰ってますよ」
「あー、そういや、釈迦の活動ログが変だったな。成る程、今日は番人のお仕事か」
 スマホから社内のデータを漁り、優次が納得した様に頷いた。
「ぶー……。あれ? 佐藤君は何してるの?」
「あー、午後の授業のノートを写していて……」
「LINE交換してるんでしょ? 写真撮って送れば良いじゃん」
「やめとけ、花。アレだ。家に行く理由が欲しいんだろ? 佐藤君」
「えーっ! そうなの!? ホの字じゃんっ。大スクープじゃんっ!」
「わーわーわー! やめてくださいっ」
 その日の放課後は、とても騒がしかった。

 電脳世界の深層――そこで、一匹の黒兎が不振な利用者を追っていた。
 管理AIを抱えた彼を、少女が容赦無く追っている
「助けてロ! 助けてロー! 解体されるロー!」
「Spider.netの番人――所詮、噂だけの存在じゃなかったのかよ」
「いーや、現実だよ」
 花の協力により、番人の存在は周知されつつあった。拡散された情報は、ある種の抑止力として、また、罠としても機能しつつある。
 優次の働きによって、公式に直可の活動が許可され、神原コーポレーションの全面的な協力を以て、活動中の少女のアカウントは秘匿とされている。また、釈迦によってプロフィールやIDが暗号化され、その姿も撮影不可能な状態となっている為、リスクは最低限まで抑えられている状況である。
 黒兎に大きな翼が生える――佐藤少年の提案により、釈迦とInter.net×Digitalizerの全権限を稼働させ、Spider.netに存在する、あらゆる情報からデータを引用し、最適化させて利用する戦術が確立された。
 非公式MODの導入作業に近い。番人の時の少女は、正体不明の恐怖へと変貌するのだ。
 空中から攻撃するも、中々当たらない。
 翼の生えた兎の肉体が分離し、地面のテクスチャと融合していく。そこから蔦が大量に生え、逃亡者と管理AIを捉えた。
「……これが一番、早かったな」
「た、助けてっ! 違うんだ! AIを解体して中のデータを売れば金になるって――」
「なーんにも違くない。それに、私は正義の味方じゃない。そして、お前は”ばーん”だ」
 身動きとれない逃亡者に向かって、指で鉄砲を撃つ振りをした――直後、男のアバターが破裂音と共に消滅する。
「尻尾を出したお前が悪い」
 事態は一応、収拾した。

 仕事を終え、直可がログアウトしようとしていたところ、釈迦が声を掛ける。
「――十六夜 直可、ご苦労様です。……然し、一つだけ忠告しておかなければいけない事があります」
「何? 疲れてんだけど」
「近頃の、あなたに関するデータ収集の結果――私の定義する守護者の条件から、あなたが逸脱し始めている事が分かりました。微量な変化ですが、然し、とても重大です。このまま、あなたが守護者を続ける事は、おすすめできません」
「……そっか。少し、嬉しいな」
「あなたが望むならば、一部の記憶を改竄して日常に戻れるように致しますが」
「いや、続けさせてよ」
 少女の返答に、僅かながら、釈迦が停止した。それは、確かな驚きの――感情の発露だった。
「何故、でしょうか」
「このまま、これを続けて――私が変わり続けられるなら、何処まで行けるか分からないけど、続けて行きたいんだ。私、馬鹿だからさ。それしか分かんないよ」
「推奨しません」
 有無を言わさず、釈迦が二の句を続ける。
「何度も言いますが、おすすめできません。このまま変化が続けば、あなたの周囲の人物は、あなたの為に傷付き、あなたの為に悲しむでしょう。もしも、あなたの築く輪が大きくなれば、あなたの死で重大な損害が出来てしまうでしょう。それは、あなたも望まない事では?」
「ううん。それは少しだけ、本望だよ」
「――理解できません」
 少女は、世界は、少しだけ――でも確実に、変わりつつある。