考え中。

現在は、椋崎という名前で活動中。

さざなみレイルロード

 窓辺から暖かな木漏れ日が差している。
 小鳥の囀りと、寄せては返す波の音が聞こえてくる。朝が、彼女を迎えに来たのだ。
 眠気まぶたを擦りながら、ゆっくりと上半身を起こし、伸びをする。欠伸混じりに間抜けな声を漏らしながら、寝癖のついた頭髪を掻いた。
 時計を見ると、どうやら朝の七時の様で、仕事まではまだ時間があった。
 急ぐ必要もない――と女は判断し、おぼつかない様子でベッドから身体を離し、半ば千鳥足で寝室から抜け出していった。
 朝食とコーヒーを用意しに行ったのだった。

 浜辺に小さな一軒家を構えるトビは、二十半ばの女性で、ぼんやりと生きていたら、ぼんやりとした大人になった。そんな、他愛のない人間である。
 多分、地球儀を凝視しないと見つからないほどの島国の、南方にある地域で育ち、そこを離れる事もないまま手に職を持った。
 彼女の仕事は星屑拾いで、それは夜中に浜辺に落ちてきた星々を、危ないので拾い集めるというものだ。
 星々は高温で熱を発しており、肌で触れると火傷して危ないので、トングで拾って背負った木箱に入れて行く。そして、一通り集め終えたら、村長に差し出して給金を貰う。
 それが、彼女の毎日であった。
 今日もトビが業務に従事していると、白衣の老人が話し掛けてきた。
「今日も無意味な事をしているのかね」
「でも、お金が貰えるので」
「君はお金の対価に体力と時間を奪われているのだよ」と、得意げに、髭を弄りながら言う老人。
「でも、やりたい事もないので」
 ため息を吐いて、老人は懐からロケットを取り出した。
「それは?」と、トビが訊ねる。
「聞いて驚け! 昨晩くすねた星を燃料にした、空に向かって飛んでいく装置だ!」
「飛んでいって何になるんです?」
「わからん!」
 この白衣の老人――遠巻きに博士と呼ばれ、本名も認知されてない彼もまた、いつもこの調子であった。
 色んな機械を目的もなく作っては試し、成功したり失敗したりして、喜怒哀楽を活発に擦り減らしながら歳をとっている。
 取るに足らない会話も、彼らにとってはいつもの事だった。
 だから、トビは特に気にもとめず、仕事を再開させようとした。
 博士の飛ばしたロケットが、大きな音を立てて、青空の中で爆発した。
 朝だって言うのに綺羅びやかな絵を描いて、四散したのだった。
 その姿に、トビは僅かだけ目を奪われた。

 ”そんちょうのいえ”――と、丸っこい字で書かれた表札が立てられている。
 その側に、掘っ立て小屋の様な木造住宅があり、その中でトビは、3人の子供に囲まれながら正座をしている。
「たいざい、たいざーい! しけいです!」と、”せっかち”と書かれた名札の少年。
「それはきびしすぎ!」と、”いいんちょ”と書かれた名札の少女。
「むむむ」と、腕組をしているのは、付け髭と大きな帽子がミスマッチな子供には、”さいばんちょ”というネームプレートが首に掛けられている。
「あの、多分、わたしのせいじゃないと思うんですけど――」
「ほしくずがいっこたりないのよー!」と、せっかちが言う。
「じょうじょうしゃくりょうのよちがあります」と、さいばんちょ。
「なんだと! なんかいってみろ!」
 挙手しながら、トビが言う。
「いつものルート通りに、いつもと同じく確認しながら、いつもの様に拾い集めただけです」
「なんだそれは! いいわけになっとらん!」
「多分、博士さんが燃料にするために星をくすねたって言ってたので――その通りだと思うんですけど」
「なんだと! じゃあ、はかせをしけいだ!」
「せっかちくんはきびしすぎます!」
「だって、ほしくずがたりないとでんきとかうごかなくなるだろ! せいかつができない!」
「節約すれば良いのでは?」――トビが脊髄反射で答える。
「ひこくにん! はつげんはきょしゅをしてから!」と、さいばんちょ。
「ひこくにんのいいぶんもいちりあります。さいばんちょ」と、いいんちょが言う。
 悩ましげにさいばんちょが苦悶の声を漏らす。
 それから、木槌で机を叩きながら叫んだ。
「わからーん! じんじゃのひとにまかせます」
「おー! じんじゃのひとですか! それはいいあんです」
「さんせーい。さんせーい!」
 当事者を置いて、満場一致で可決された。

 というわけで、トビは島の奥にある神社まで、首に縄を下げられて、さいばんちょに連れて行かれた。
 巫女服を着た女性が優雅に踊っているのが見える。それに、さいばんちょが声を掛けた。
「みこどの、みこどの! ざいにんをつれてまいった」
「あら、あらあら。村長さん。この人、悪い人なんですの?」と、踊りながら女性が訪ねてくれる。
「うむ。かみさまにさばいていただくのだ。では、たのんだ」
 そう言って、縄の先を巫女に渡し、さいばんちょは帰っていった。
「とほほ……。なぜ、こんな事に」
「あら、あらあら。では、どうしましょうか。ふうむ……」
 踊りながら、巫女さんが考えを巡らせた。
 それに巻き込まれて、首を引っ張られるので、トビも踊っている様な格好になった。
 その滑稽な姿を見て、巫女はどうやら閃いた様だ。
「そうだ! こうしましょう! あなたもわたしも、死んでしまう前で踊り続けるのです! 神様もそう言っています」
 笑顔で快活に言う彼女に、トビは溜息を吐いた。
 そういう事になったので、彼女達は日が暮れるまで踊り続けた。
 森の中で、社の下で、神社を越えて海岸まで。
 そして、とうとう断崖絶壁も目前のところで、巫女は足を踏み外し、海の方へ落ちてしまった。
 暫く、トビは踊りながら戻ってくるまで待っていたが、巫女が浮かんでくる事はなかった。
 夜になるまで待ったが戻ってこなかったので、トビは呆れ果てて家に帰ったのだった。

 帰路を歩くトビ。その途中で、鼻歌交じりに道草していると、砂浜の方から眩い光が溢れた。
 興味を持った彼女は足早に、息を荒げて明かりの方へ赴いた。
 砂浜に着くと、そこには空に線路を掛け、滑空する列車があったのだった。
「あれは――」
 トビが呆けていると、近くまで汽笛を鳴らしながら列車が走ってきて、止まった。
 そして、扉が開くと、鮫の頭をした男が出てきた。
「おや? お客さんが現れた様だが」と、鮫頭の男が、とても低い声で言った。
「あの、あなたは――。というか、この列車は」
「ん? ああ。貴様がそうか。私は車掌である。それ以外の何者でもない。そして、この列車は終点行きの列車である」
「終点……?」
「うむ。全てを無に帰し、そして星に還る場所だ」
「星に」――納得できた様なできない様な、微妙な表情を浮かべてトビは鸚鵡返しした。
「お嬢さん、乗りなさい。今日はお客さんの多い日だ。マナーは守る様に」
 車掌に促され、トビは列車に乗る事にした。

 トビが列車に乗ると、青ざめた顔の巫女が膝を抱えて座っていた。
 他に座る場所もないので、トビは彼女と相席する事にした。
「あの、巫女さん。無事だったんですね」
 話しかけるも、返事は帰ってこない。
 何やらお経の様なものを、延々と唱えている様子で、要領を得ない。
 トビは諦めて、窓の外の景色を眺めている事にした。
 とても綺麗な夜景が、直ぐ側に感じるぐらい鮮明に映っている。
 思わず、彼女は見惚れてしまった。
 そうしていると、車両の間の扉が開き、客室乗務員の格好をした少年がやって来た。
「がたんごとーん、がたんごとーん」
「あら、君もお客さんですか」
「違います。僕は客室乗務員です。それ以外の何者でもありません」
「ほう。客室乗務員」
「お客さんはこの列車は始めてですか? 始めて以外の人は乗れませんが」
「そうなんですか?」
「はい。この列車は何処にでもあって、何処にでもありません。この列車に乗れるのも、同じ様な人だけ。そして、この列車が止まるのは、お客さんの前か終点かだけなのです。途中下車は勿論、できません」
「終点に止まったら何があるんですか? 星に還るとは聞きましたが」
「お客さんは、星屑になるんです。そして、世界に降り注いで、翌朝、みんなが暮らしていく為のエネルギーとして還元されていきます。世界はそうやって、出来ているんですねえ」
「へえ、不思議ですねえ」
 曖昧な返事をして、トビは外の景色を眺めていた。

 しばらく走り続けていた列車だったが、木々の生い茂る森の様な場所で、一旦、止まった。
 そこで、扉が開き、太鼓を持った小さな狐が入ってきた。
「ぽんぽこぽん、ぽんぽこぽん」と、口で言いながら、下手くそな音頭を奏でる。
「あら、狐さん」
「はい。わたしは狐です」と、たどたどしく返事する。
「子供の狐さんです?」
「はい。子供の狐さんです」
 客室乗務員が、ホイッスルを吹いた。
 一人と一匹が振り向く。
「発車します。発車しまーす。席にお座りください」
 早足でトビのもとまで歩いてきた小狐が、首を少し傾げて言ってきた。
「膝の上、座っても良いですか?」
「良いですよ」
 微笑んで返事をすると、トビは太鼓ごと子狐を持ち上げ、膝の上に乗せた。
「狐さんは何をなさっていたんですか?」
「私は狸と友達だったんです」
「狸さんと? 狐さんが?」
「みんなは喧嘩をすぐするけど、私は仲良くしたかったから、仲良くしていたんです。そうしたら、群れを追い出されてしまいました」
 悲しげに俯く子狐に反応したのか、向かいにいた巫女が、お経を唱える声を大きくした。
「そうですか。変な世界ですね」
「そうです。変な世界なのです」
 他愛もない会話は、他愛もないまま打ち切られた。

 また走り続けていた列車が止まった。今度は荒れ地の様なところで、遠くから何やら発砲音や叫び声などが聞こえる。
 恐る恐る、負傷している同族を背負った河童が入ってきた。何やら手負いの様子で、軍服を着て、銃を構えている。
「危険物はこちらでお預かりしまーす」と、客室乗務員。
 状況が飲み込めない様子で、取り敢えず、河童は武器を渡した。
「ここは……何、でありますか?」
「列車ですよ、河童さん。我々は終点に向かってるのです」と、トビ。
「な、成程……」
 上手く飲み込めずに、然し、自分で自分を無理矢理に納得させ、河童は頷いた。
 そして、トビ達の横隣の列にある席に背負っている仲間を寝かせ、自分はその対面のところに座った。
「河童さんは戦争をしていたんですか?」
「そうであります。魑魅と魍魎の間で大戦が行われているのであります。吾輩は、曹長で、小隊長でありました……」
「負けたんですか?」
「分からないであります。逃げてきた身分でありますゆえ」
「……悪い事ではないと思いますよ」
「然し、お国に捧げた身であります」
「そういうものですか?」
「そういうものであります」
「はあ」
 そこで、気まずい空気になって、会話は途切れた。

 またもや列車が止まった。
 今度は、長閑な村の外れの様なところで、老朽化した家の側であった。
 緩やかなペースで、喪服の老婆が入ってきた。
 穏やかな表情を浮かべており、どうやら、自分の行く末を理解している様子だ。
 そして、トビの後ろの席にひとり座り、窓の外の景色を眺めて、何かに思いを馳せていた。
「あの、話し掛けてもよろしいですか?」と、トビ。
「ええ、構いませんよ」
「お祖母様は、お葬式のあとですか」
「ええ。旦那が亡くなったばかりで」
「……そうですか。お気の毒に」
「いいえ。だって、もうすぐ逢えるもの」
「ん。そういうものですかね」
「ええ、そういうものよ」
 少し、物哀しそうな声で老婆が答える。
 妙に納得できなさそうな顔で、トビはなんだか居心地の悪い気分になった。

 それから何時間か経って、車内アナウンスが流れた。
「次は~、終点。終点」
 窓から外の景色を眺めれば、それは無限に広がる星空の中であった。
 敷いた線路は天の河に架かり、大きな黒い渦へ向かって列車は走る。
 そして、暗闇の中を駆け抜け、暫くしたのち、止まった。
「ご乗車ありがとうございました。終点、終点。銀河ターミナルです」と、車掌の声。
 扉が開き、徐々に乗車客達が掃けていく。
 トビだけは暫く、席に座ったまま呆けていた。
 そこに、客室乗務員が話し掛ける。
「終点です、お客様」
「……何か、違う気がして」
「いいえ。違いません。終点です。次の運行がはじまります。すぐにお降りください」
「……そうですか。わかりました」
 気乗りしないが、従わないわけにもいかず。トビは列車を降りて行った。

 薄暗い地下通路の中で、蛍の様な淡い光が浮いては消えてを繰り返している。
 銀河ターミナルと呼ばれる――その空間は、一本の長い道であった。
 最後に乗ってきた老婆が何もないところで、誰も居ないのに会話をしており、微笑みを浮かべている。
 その足元の端から光へと返還されており、何も感じていないのか、気にもとめる素振りすら見せない。
「あれが、星になるということですか」と、トビが独りごちる。
 然し、彼女が光になっていく様子はまだない。
 だから、歩き続けた。
 次に、仲間を背負っていた河童の兵士が、突然、倒れてしまった。
 そして、寝そべっているところ、端から光の粒子へと返還されていった。
 太鼓を鳴らしながら、陽気に歌う狐も、踊りながら歩きながら、次第に夜を彩る蛍へ変わっていった。
 気付けば巫女もおらず、トビはひとり孤独に、闇の中を彷徨っていた。
 歩く。歩き続ける。時間なんて忘れて、足を痛めながら、息を荒げながら。
 そして、随分と歩いた果てに、彼女もいつの間にか、光になっていたのだった。

 その夜も世界に星々は降り注いだ。
 トビが消えた次の日に、彼女が担う役割は別の誰かが担って、変わりなく社会は回る。
 どこにもいない、誰かを乗せる列車もまた、同じ様に。
「車掌! お客様、みんな還られました」
 列車の運転室で、客室乗務員が敬礼しながら報告する。
「承知。では、今宵もまた出発進行」
 満天の夜空を駆けていく。